ノーブルホーム30周年イベント参加者インタビュー
ノーブルホームで特殊建築営業部設計課に所属し、リブランディング委員会のメンバーにも選出された川口耕太。ノーブルホームの新ブランドについてどのように感じ、ノーブル人としてどのように体現していきたいのか語りました。
横浜から子育てのために水戸へIターン
私は幼少期は横浜駅前のマンションに住んでいて、まったく自然のないところで育ちました。茨城は妻の地元なので、私自身はいわゆる「Iターン」ですね。
水戸の「シティ」と「カントリー」がちょうどよくミックスされたところが私は好きで、子育てするなら絶対にここが良いと直感したんです。
たしかに横浜なら学習塾や習い事といった意味では困ることはありません。ですが、やはり子供時代は机上の学習よりも、目の前の自然から学ぶことのほうが多いと思っています。
「釣ってきたザリガニは、どんな環境で育てたらいいんだろう?」
「カブトムシをたくさん捕まえるには、どう工夫すればいいんだろう?」
自然の因果を、自らの目で見て学ぶこと。それが叶えられる茨城での暮らしは、とても豊かだなと日々実感しています。
自分の仕事が、子供たちの夢につながる
今、私が所属しているのは、特殊建築部の設計課です。地域の企業やスポーツチームの方と関わり、ビルのような規模の大きな建物を建てています。
例えば、この部署に所属して最初に関わったのが、水戸ホーリーホックというサッカーチームの新選手寮のプロジェクトです。自分も家族も属している地域のためになる仕事なので、本当にやりがいがあります。
横浜に住んでいた頃、父や祖父は通勤に1〜2時間かけていました。そのため幼少期の私が「親が働く姿」を見る機会はほとんどなかったんです。
でもノーブルホームで働いていると、子供たちは「あ!お父さんの会社の車だ!」「社員の何々さんにまた会いたいな」と親の仕事をすごく身近に感じているようです。
そして一番嬉しいのは、子供たちから「自分にも将来は何か楽しい仕事が待っているんだ」という夢のある発言が多いこと。自分が一生懸命がんばっている仕事が、子供たちの夢にもつながっているんだと思うと、より一層がんばれますね。
幅広い学びで、この街の未来をひらく
今回ノーブルホームが30周年を迎えるにあたって、リブランディング委員会のメンバーにも選んでいただきました。
そのとき私に求められていた役割は「開く=オープン」。誰も開けたことがないところを、まずは物怖じせずにドンと開いてみる役割だったと認識しています。
しかしプロジェクトを進めるなかで感じたのは、「開く」だけでは不十分だということ。積極的な「啓く=学び」の継続で、もっと視野を広げていく必要性を痛感しました。